ユニークな稲成神社

 山口県にちょっと変わった稲成神社がある。場所は長門市油谷津黄という所で、日本海に面した山あいの崖地にあり名前を元乃隅稲成神社(もとのすみいなりじんじゃ)という。
 普通は稲荷神社と書くがここは稲成神社と書き、全国で稲成神社と書くには島根県津和野町にある太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)とここだけである。ちなみに元乃隅稲成神社は、狐のお告げにより、昭和30年に太鼓谷稲成から分霊された神社である。
 これが神社の参道の入り口にある鳥居である。

 

正面から見た鳥居

正面から見た鳥居

 

 鳥居の下ではかわいいい狐が出迎えてくれる。

 

鳥居の下の狐

鳥居の下の狐

 

 さて、何が変わっているかというと、鳥居をくぐり、鳥居を振り返ると賽銭箱がずっと上にあるではありませんか。

 

振り返って見た鳥居

振り返って見た鳥居

 

賽銭箱

賽銭箱

 

 ここに賽銭を入れるのは非常に難しく、賽銭が入れば願いが叶うと言われている。
 そしてこの元乃隅稲成神社のもうひとつの特徴は崖を下り海岸へと続く123本の朱色の鳥居である。
 私が行ったときは、一部分の鳥居が修理中であったが、ずらっと並んだ鳥居は壮観である。

 

崖を下る鳥居

崖を下る鳥居

 

全体の鳥居(一部修理中)

全体の鳥居(一部修理中)

 

夜の神社と海

夜の神社と海

 

 夜になると、たくさんの漁船の漁火が海を照らし。神秘的な雰囲気を醸し出している。ちなみにこの神社は商売繁盛、良縁、学業成就などのほかに大漁、海上安全の神様として知られ、まさに神に見守られて漁をしているわけである。
 こういった日本の原風景といった光景はいつまでも残していくべきであると思った次第である。

 真田 俊秀

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On 8月 11th, 2015, posted in: 樹木医アラカルト by KO

「情報の交換と共有とボケ封じ」

 平成27年4月、韓国の桜を見に慶尚南道の鎮海と河東に行ったついでに、韓国の若手樹木医集団が治療したという天然記念物第289号 妙山面のアカマツ(樹齢400年、樹高17.7m、幹周6.15m、樹冠幅 東西南北25m)を見に行った。
 都心からかなり離れた山村(二、三軒しかない邑)のやや窪んだ畑の中に生えている。

 

天然記念物第289号 妙山面のアカマツ

天然記念物第289号 妙山面のアカマツ

 

 遠望すると中央の枯れた幹が鶴首で、正に羽休みをする鶴の容姿に似て美しいアカマツである。
 今日は天然記念物を紹介するのでなく、韓国の樹木管理などに関する文献、書籍、資料に私たちが常日頃参考、お世話になっている日本の文献などが参考引用され、情報の交換と共有が成されていることを紹介するものである。樹木保護に関する治療、樹勢回復などに関する知識、技術がよく似ており、天然記念物を探訪するたびに気にかかっていたので、数冊の書籍、図鑑を読んでみた。私の手元に韓国の森林学者、樹木医並びに樹木病院の関係者が著した図鑑、探訪紀行本などがある。その末尾の参考文献欄には引用した文献の一覧があり、その中に私たち馴染みの文献名が散見できる。

 

ソウル大学樹木総合病院 羅・李教授著の造景樹 病害虫図鑑(左)と若手樹木医著の樹木病害虫図鑑(右)

ソウル大学樹木総合病院 羅・李教授著の造景樹 病害虫図鑑(左)と若手樹木医著の樹木病害虫図鑑(右)

 

造景樹・病害虫図鑑の参考文献欄の一部

造景樹・病害虫図鑑の参考文献欄の一部

 

 

 文中に出てくる単語は当然日本語でなくハングル表記され、横に辞書さえあれば翻訳はさほど困難な作業ではない。ただし樹木名、病害虫名は標準的な韓国語学辞書には記載されていない場合が多い。しかし樹木名など学術的な名前には学名を持ちローマ字表記された学名を基に訳し理解できる。昨日も若手樹木医が著した「樹木医 樹木の治療を話す」は樹木の病気、害虫による症状、治療、樹勢回復処置方法を一般人向けに書いた本である。その中でグンバイムシが「防牌」と書かれ字面から理解できるが、モモガラスガと書かれた害虫名があった、辞書にも出ていなく拙い韓国語能力の限界を思い知らされたが、幸いにもハングル表記の横に学名があり、学名からコスカシバと判明、ハングルを直訳するとモモ○●ムシでとてもコスカシバとは理解できない。国の言葉によって表記の仕方がこのようにも違いものだと痛感した。言語は慣れというが専門用語は一般会話の中で使われないので書籍、資料で勉強しなくては身に付かない。
 いずれにしても何事も精進しようと思えば国境の垣根なしで情報の交換と共有をしなければならない、そのためには母国語以外の語学を知ることが大切であり、もう少し若いうちに他言語に慣れ親しむべきと反省しきりの六十路である。因みに他言語を学ぶとボケ封じになるとか・・・
 なんとも支離滅裂な文章になった、熱帯夜による寝不足のためか、それともボケが・・・、
 読者の皆さん、ごめんなさい。
 日韓樹木文化・老古樹研究協会 浅川

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On 8月 9th, 2015, posted in: 樹木医アラカルト by KO

大台ケ原の朝日 その2

 平成27年6月13日、前回に引き続き、またまた大台ケ原に行く。
というのも、この時期、天気が良ければ富士山の頂上から太陽が昇る、いわゆる「ダイヤモンド富士」が拝めるかもしれないから。
 午前2時30分に大台ケ原駐車場を出発し、正木峠に午前3時15分到着。
 空には星が瞬き、天気は良さそうだ。

 

早朝の星空

早朝の星空

 

 そのまま正木峠で夜が明けてくるの待つ。午前4時頃には、だんだん東の空が白々と明かるくなってきた。
 しかし水平線のあたりには雲が出ているらしく、全然、山並みが見えない。

 

朝焼け

朝焼け

 

 時間はどんどん経ち、午前4時30分になっても山は見えない。
 天気は、まあまあなのに、こんなこともあるんだなと半分あきらめて他の所の写真を撮っていた。
 午前4時35分頃にふと振り返ると、なんと雲の間から富士山がひょっこりと顔を覗かせているではないか。

 

顔を出した富士山

顔を出した富士山

 

 あわてて富士山にカメラを向ける。
 すぐに太陽が顔を出してきた。

 

富士山に太陽が

富士山に太陽が

 

 そして富士山の頂上から太陽が昇ってきた。まさに「ダイヤモンド富士」である。

 

ダイヤモンド富士①

ダイヤモンド富士①

 

ダイヤモンド富士②

ダイヤモンド富士②

 

 富士山が見れたのは3分ほどで、太陽が昇ると富士山は雲の中に隠れてしまった。

 

隠れる手前の富士山

隠れる手前の富士山

 

 なかば諦めていただけに、幸運にも「ダイヤモンド富士」が見れたことは、大変うれしかった。
 大自然の中の澄み切った早朝に、こういっためったに見れない神秘的な天体ショーを見ると、自然の素晴らしさがあらためて身にしみる。
                           
 真田 俊秀

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On 6月 21st, 2015, posted in: 樹木医アラカルト by KO

大台ケ原の朝日

 久し振りに朝日見るため大台ケ原に行く。平成27年5月22日のAM2時過ぎに大台ケ原駐車場を出発。真っ暗な登山道を大台ケ原最高峰の日出ケ岳(1695m)の向かいにある正木峠を目指す。途中の山道ではシカと遭遇する。ライトで照らすとシカの二つの目がこちらをじっと見ている。3時前に正木峠に到着。ここからだと日出ケ岳が北の方向に見える。星の写真を撮ると日出ケ岳の頂上に北極星があるのがよくわかる。

 

 

 南の方向に目を転ずると天の川が目の前にせまってくる。

 

 

 そして東の方向では、山の向こうに熊野灘の海が見える。運が良ければ富士山が見えるはず。

 

 

 そのまま夜が明けてくるのを待つ。
 そしてだんだん東の空が白々と明けて来た。朝焼けの中、富士山がはっきりと見える。
 大台ケ原から富士山までは、直線距離で約270km位あり、富士山が見えるのは年に10数回程度といわれている。

 

 

 アップで見ると富士山の輪郭がはっきりとわかる。今まで何回か、ここから富士山を見たが、今回が一番はっきりと見えた。

 

 

 朝日を見た後は大蛇嵓の方に足をのばす。ツクシシャクナゲ、ヤマツツジが咲いていた。アケボノツツジもこれからぼちぼちと咲き出していた。

 

 

 

 

 大台ケ原はこれから春から夏へと季節が変わろうとしていた。

 真田 俊秀

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On 6月 13th, 2015, posted in: 樹木医アラカルト by KO

開成山の櫻

 仕事の関係で福島県郡山市を訪ねた時のことです。市街地に素晴らしいサクラの大木が並ぶ公園に気がつきました。開成山公園です。平成27年3月末の段階ではサクラのつぼみは未だ膨らんでいませんでした。開成山公園は1972年(昭和47年)3月31日に開設した総面積約30.3ヘクタールの都市公園です。園内には開成山総合運動場、隣接地には郡山総合体育館があり、福島県内では福島市のあづま総合運動公園と並ぶスポーツの拠点であり、福島県を代表する桜の名所でもあります。
 この公園のサクラがあまりに立派だったので、少し調べてみましたので紹介します。

 このあたりは、昔、大槻原(おおつきはら)と呼ばれ、江戸時代には二本松藩の狩場として利用されていました。私の姓と同じだったのに少し驚きました。
 明治初期、地元の中條政恒らがこの辺りの開墾を意図し、地元の富商に呼びかけ、「開成社」を組織しました。
 明治9年の明治天皇の東北巡幸に先んじて下検分に訪れた大久保利通に、中條政恒が福島県と開成社による大槻原開拓事業の成功と国営安積開拓の必要性を力説しました。その熱意を受け、明治政府は、高校の日本史の教科書にも載るぐらい有名な「安積開拓」と猪苗代湖から水を引く「安積疏水」事業に乗り出しました。
 この付近には、昔から上ノ池と下ノ池というため池がありましたが、開拓事業では灌がい用の池としてこれらの池を改修し、五十鈴湖と開成沼がつくられました。
 古いサクラの木は、1873年(明治6年)、開拓を始めるにあたり「開成社」の人々によって、ため池の堤防などに植えられたものだと伝えられています。
 郡山市のホームページによると、当時、山桜2,856本、ソメイヨシノ・八重桜1,036本など4千本近いサクラの木が植えられました。
 サクラの植栽記録としては、開成社百年史(以下、百年史)によると、開成社は明治6年の結社社則に花木苗木購入の金額を具体的に掲げ、明治8年11月14日、社員集会し開墾地周辺に桜苗木の植栽を決定しています。また、「池の周辺には数万本の桜苗木が植えられ、これが生育して花開き、郡山の名勝となった」ともあります。
 さらに百年史によると、遥拝所規則の第五条には「春秋参拝日毎に梅桜、桃、梨等の花木一村二木づつ献納開成山に植付可申こと」とあり、開成社は果物の成る木ではなく、「花木」の植栽に力を入れたことが伺えます。
 この桜にはこんなエピソードも紹介されています。開成社長であった阿部茂兵衛が自らの手で桜の苗を植えている姿を見た人が「あなたは、この桜の花を見られますか。」と尋ねました。茂兵衛は「桜は孫子の時代のもの。必ず町の名所として賑わいを見せる。」と平然と答えたといいます。
 この地の桜の多くは、その後も順調に育ったようで、昭和9年には国から名勝天然記念物の指定を受けています。しかし、昭和35年、運動公園の整備(開成沼の埋め立てなど)に伴って指定が解除されましたが、今でも公園の東西2か所に「名勝及天然紀念物開成山 櫻」碑が残っています。
 これらの記録からすると、公園内の古いソメイヨシノの樹齢は、長いもので約140年を数えることとなります。
 開成山公園の説明によると、現在、公園内には、ソメイヨシノ約860本、ヤマザクラ約70本、カンザン約65本など、公園全体で合計1300本の桜があります。
 現在、日本最古のソメイヨシノは明治15年(1882年)に植えられた青森県の弘前公園の桜とされています。そのソメイヨシノは、弘前城の二の丸与力番所と東内門の間にある、旧藩士「菊池楯衛」により植えられたソメイヨシノ1000本のうちの1本だと言われているものです。しかし、開成山の方が早く植えられたと思われ、当初のものが残っていれば、日本最古、長寿日本一は開成山公園のソメイヨシノであると推察されます。
 ソメイヨシノが比較的短命であることは否定しませんが、「ソメイ60年寿命説」は必ずしも正しくはなさそうです。
 弘前城公園のソメイヨシノは手入れで長寿を保っていますが、開成山のソメイヨシノはどのように守られてきたのでしょうか。見るところ、公園内のソメイヨシノの大木の多くは老朽化しており、ひん死の状態のものも少なくありません。しかし存在感は圧倒的です。
 開成山のソメイヨシノが何故このように、通常言われている寿命の倍以上の樹齢を重ねながら花を咲かせ続けられるのか、その理由を知りたいと思うのは私だけではないと思います。そしてこれからも1年でも長く花を咲かせて欲しいものだと思います。
(大槻 憲章)

【参考資料】
開成社百年史
安積開拓の小冊子(郡山市)
HP「今に残る安積開拓・安積疎水」他

 

開成山公園のソメイヨシノ

開成山公園のソメイヨシノ

 

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On 4月 10th, 2015, posted in: 樹木医アラカルト, 緑と樹木について by KO

I樹木医との台湾紀行(その3:嗜好性診断)

 台湾に来ても料理と樹木の写真しか撮っていないI樹木医。I樹木医と1週間一緒に夕食を共にしました。そしてI樹木医の飲食物嗜好性がなんとなく分かってきました。夕食は私とI樹木医、そして台湾のパートナー日本人や台湾人と、または台湾の依頼者と一緒に食事をする機会がありました。

 私とI樹木医だけの食事は質素なものです。初日は二人で二件はしごしました。1件目は屋台風の豆乳屋での食事です。失礼な言い方ですが小汚い豆乳屋です。しかし、地元では有名で行列ができるお店です。看板は豆乳屋なのですが簡単な食事ができます。ここで頼んだ小龍包(ショウロンポウ)は蒸し器に10個入って80元(約310円)と安い。しかもジューシーで美味しいとI樹木医の顔もニッコリ。
 二件目は繁華街の裏路地にあるタイ料理と福州料理の看板のお店。福州とは台湾海峡をはさんだ中国の都市でアモイの北側に位置するところです。なぜタイ料理と福州料理が一緒のお店なのか不思議です。なんとなくタイ風の中華料理ですが、ここも安くてボリューム満点。I樹木医もご満悦です。

 2日目は台湾人スタッフの女性と一緒に四川料理です。ここでは定番のマーボ豆腐や豚肉の辛味噌炒めなど。綺麗なレストランですが安いお店でした。I樹木医もご機嫌です。
 3日目は今回の仕事の依頼者から高級料理店で北京ダックをご馳走になりました。台湾の料理コンテストで優勝したチーフが席まで挨拶に来てくれました。北京ダックは店員が綺麗に取り分けてくれます。さすが高級店。他の料理も上品で美味しい料理でした。

 

2日目の四川料理店で楽しそうなI樹木医。私は台湾ビールと四川料理でおなかいっぱいです。

2日目の四川料理店で楽しそうなI樹木医。私は台湾ビールと四川料理でおなかいっぱいです。

 

 4日目は有名な辛鍋料理屋。香辛料がいっぱい入った非常に辛いダシと、辛くない普通の鶏ガラ風のダシが一つの鍋に区切られてきます。私は普通のダシを主体に食べましたが、I樹木医は辛いダシでパクパク食べておられました。私は辛いダシの方はあまり食べなかったのですが、それでも翌朝お尻が痛くなりました。I樹木医はちょっと辛いけど美味しかったと全く平気な様子。
 5日目は地元の人が行く坦々麺(タンタンメン)屋、汁なし坦々麺とその他小皿料理。ここでもI樹木医は「変わった坦々麺ですね~」と言いながら「おいしい、おいしい」とご満悦。

 そして6日目が海老料理専門の屋台。ここは海老の蒸し焼きとスープとソーメンしかない裏路地にあるテント張りの屋台です。壷の中で海老を蒸し焼きにして胡椒やレモンの味付けをして出してくれます。はじめて食べたのですが美味でした。一壷に車えびサイズの海老が12匹入っており、それを二壷注文し4人で食べました。一人は女性で少ししか食べません。美味しいのですが海老ばかりです。私は4匹も食べたら海老はもういらんと思っていましたら、I樹木医はパクパクと超ご機嫌で2壷完食です。

 

屋台の海老料理屋で超ご機嫌なI樹木医。

屋台の海老料理屋で超ご機嫌なI樹木医。

 

 どうもI樹木医は高級店より、屋台でワイルドに食べる方が好きそうである。これなら台湾ならずともどこでもなじめそうです。私は先に帰国しますが、あと1週間I樹木医はどのような楽しみを見つけてくることやら。次は高木の剪定指導です。どうか健康と安全には気をつけて残りの1週間頑張ってください。

笠松滋久

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On 3月 20th, 2015, posted in: 樹木医アラカルト, 緑と樹木について by KO

I樹木医との台湾紀行(その2:台湾総督府の樹木診断)

 5週にわたる台北での剪定講習会に参加していたI樹木医に緊急依頼が舞い込んで来ました。台湾ではよくある話です。日本から樹木医が来ている。それならば、見て欲しい木があると連れてこられたのが台湾総督府です。

 台湾総督府は日清戦争後に割譲された台湾を統治するために日本人によって建てられた建物です。日本で最初に行われた設計コンペにより建物は1919年に完成しています。
 総督として赴任した乃木希典、児玉源太郎、明石元二郎など、民政長官に就任した後藤新平、農業技師として招かれた新渡戸稲造など、多くの歴史的人物がこの建物で職務を遂行しました。

 

台湾総督府

台湾総督府

 

 現在は台湾総統が公務を行う総統府として活用されています。日本で言うなら首相官邸のようなものですね。そんなところにいきなり連れて来られて、戸惑うかと思いきや、I樹木は平然と樹木の診断を続けます。さすが沈着冷静なNPOおおさかの樹木医です。ミーハーなそぶりは一切見せません。
 台湾に来てから食べるものすべてを写真に撮るのに総督府の建物には見向きもしません。興味があるのは食事と樹木だけ。せっかくこんな所に来たのだからと私がワンショット撮って差し上げました。

 

台湾総督府前庭でのI樹木医。もちろんここに入るにも許可が必要です。写真には写っていませんが周りには多くのガードマンが取り囲んでいます。そんな中、怪しげな迷彩色のズボンをはいて調査するI樹木医でした。

台湾総督府前庭でのI樹木医。もちろんここに入るにも許可が必要です。写真には写っていませんが周りには多くのガードマンが取り囲んでいます。そんな中、怪しげな迷彩色のズボンをはいて調査するI樹木医でした。

 

 予め申し込みをしておけば、総督府内部を視察することは可能なようですが、一般観光客が簡単に入れるところではありません。内部に入るにはパスポートを提示し、飛行機搭乗時の安全検査で通るようなゲートをくぐらされ、尚且つ、携帯電話、カメラなどは預けなければなりません。もちろん危険物は持ち込めません。ですが我々は特別許可をもらって樹木検査用鋼棒(一般人が見たら凶器)と剪定バサミと測定道具だけは館内にも持ち込みさせて頂きました。

 診断したのは、建物前庭に植わるインドシタン(ヤエヤマシタン)Pterocarpus indicus、ゴヨウマツ、ソテツ、総督府中庭に植わる台湾油杉Picea morrisonicola Hayataです。
 前庭は土壌が固結し表層にしか根が張っていないようである。ゴヨウマツは、葉がすす葉枯病のように葉先から褐変しているが、すす葉枯れ病のように小斑点がない。さび病でも赤斑葉枯病でもなさそうです。現地の人は5月か6月になれば葉は緑色に戻ると言う。
 中庭の油杉はコンクリートで作られた植え枡に植わっており根が回りきっています。前庭の樹勢回復には、土壌潅注などで土壌を軟らかくして通気性を高める必要性があるとの話をしました。

 

葉先から褐変したゴヨウマツの葉

葉先から褐変したゴヨウマツの葉

 

笠松滋久

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On 3月 17th, 2015, posted in: 樹木医アラカルト, 緑と樹木について by KO

I樹木医との台湾紀行(その1:街路樹の診断)

 平成27年3月1日より大阪のI樹木医と一緒に台湾入りです。これから4月中旬まで延べ5週間に渡り、4名の樹木医さんによって台北で剪定実技講習会を開催します。台北市や大安森林公園基金会と言うところから依頼を受け、街路樹診断協会を通じて講師となる樹木医を募集したところ、I樹木医以外には、長野、福岡、長崎県の樹木医が講師と決まりました。I樹木医は先頭バッターで2週間滞在して頂きます。私はI樹木医の渡航にあわせて台湾出張ですが滞在は1週間だけです。I樹木医には引き続きもう1週間滞在いただくことになります。

 ところが渡航直前にいきなり予定変更の連絡が入りました。第1週目は街路樹を用いて剪定実習をする予定だったのですが、道路使用許可が下りていないことがわかり急遽予定変更です。ちょっと日本では考えられない段取りですが海外ではよくこんなことが起こります。私は幾度とそのような経験を積んできましたが、台湾渡航二度目のI樹木医にとっては不安だらけのスタートです。
 台湾の関係者と協議したところ、1週目は高所作業者を用いない街路樹の診断を実施することになりました。幸いに診断道具は私の台湾の事務所に置いてあります。

 

コウエンボクを丁寧に診断するI樹木医

コウエンボクを丁寧に診断するI樹木医

 

 診断する街路樹は、コウエンボクPeltophorum pterocarpum とフウ(タイワンフウ)Liquidambar formosanaの15m前後の並木です。コウエンボクは黄色い花を咲かせるマメ科の植物で、日本では黄炎木と記しますが台湾では盾柱木と記します。フウは楓香と記されています。
 フウは比較的健全ですが、マメ科のコウエンボクはけっこう傷んでいます。空洞化、樹皮欠損、キノコがいたるところに見受けられます。しかし、温暖な気候で生長の早いマメ科だからでしょうか、樹皮が浮いたり腐っているところには不定根が良く発達しています。少々の傷みなら自助回復いていく樹木が多いのかもしれません。

 

樹皮の裏側に発達する不定根。真ん中にへばり付いているのは台湾のトカゲ。

樹皮の裏側に発達する不定根。真ん中にへばり付いているのは台湾のトカゲ。

 

 キノコはコフキサルノコシカケが多く見受けられました。台湾大学で菌類の研究をしていた人が実習に参加されており、台湾では南方霊芝と書くと教えてもらいました。霊芝(レイシ)と書くなら、ひょっとして漢方薬や薬膳酒に用いるマンネンタケ?と思いましたが間違いなくコフキサルノコシカケでした。

 

コウエンボクの根元につく南方霊芝(コフキタケ)

コウエンボクの根元につく南方霊芝(コフキタケ)

 

 I樹木医は通訳を伴いながら160本の簡易診断を実施し、うち1/3程に対して外観診断を実施されました。外観診断で明らかに緊急対処を要する二本のコウエンボクに対しては、支柱を取り付けるなどの処置を施しました。支柱の取り付け方、結束の仕方も講習会となってしまいました。I樹木医は親切です。丁寧に解説しながら現地の人(実は台北市の公園管理課に配属されている現業職員でした。)に教えますが、どうもI樹木医と同じようには結束できません。手先が器用な日本人は縛るのがうまいと言うのは本当の話ですね。

笠松滋久

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On 3月 14th, 2015, posted in: 樹木医アラカルト, 緑と樹木について by KO

冬の京都 石庭を巡る

 昨年(平成26年)の冬に韓国からの客人を案内して和歌山の高野山に詣でた。古刹の石庭を眺めながら精進料理を食した。大食漢の韓国人には味が薄く量の少ない食事と空虚で石のみを配した庭が印象に残ったようであった。次の機会には京都の石庭を巡ろうと真冬の高野山を離れた。
 この冬、約束を果たすべく京都の著名な石庭を巡る計画を立てたが、残念ながら火急な用事で来訪が叶わず案内することが出来なくなった。折角予約したホテルなどをキャンセルするのも勿体ないとピンチヒッターの妻を伴い、冬の京都「石庭巡り小旅行」に出かけた。
 京都大学の近くにある重森三鈴石庭美術館は事前予約が必要で、当日は私たち含めて3組10人足らずの見学者、重森三鈴氏か自ら著した書と画で装われた客間を案内され、客間の前に広がる石組みの庭の説明を受けた。石組みの知識を持ち合わせていない拙者にも深閑静寂な空気が漂う空間に身をおくことに悦を覚えた。
 語り口の静かな亭主(美術館館長)の案内を聞き、石庭、茶室、書、画を見学し現代美術家 重森三鈴氏の作品の神髄に触れた。
 美術館を辞した後、京大前からタクシーで龍安寺に向かう。北野天満宮を過ぎたあたりから雪が舞い始め冬の京都の風情がより一層濃くなってきた。観光客の少ない龍安寺、15個の石を配した石庭は雪を頂きながら何かを語っているようで先の石庭にない趣であった。
 龍安寺から南に下ると等持院がある。閉門間じかに門を潜る。龍安寺の石庭と趣が違う石庭と石組みの庭を見学し、京(今日)の石庭巡りの幕を閉じる。
 朝が空けると京の町は白く雪化粧、鴨川を東に渡り祇園花見小路の家並を過ぎると石庭巡りの最終地点 建仁寺がある。早朝であったので日曜日にも拘らず参詣者、見学者の足数も少ない。昨日から4つ目の石庭、やや過食、消化不良気味、それでも方丈前の石庭、中庭の石組みを満喫する。冬の古都の石庭は樹木の彩も絶え寂しいが、予期もせぬ雪の演出で一味も二味も違う雰囲気を楽しめた。次は花爛漫する春の石庭を訪ねてみたい。
 日韓樹木文化・老巨樹研究会 代表

 

重森三鈴庭園美術館入口より望む招喜庵

重森三鈴庭園美術館入口より望む招喜庵

 

庭園美術館入口より望む前庭

庭園美術館入口より望む前庭

 

客間からのビューポイント

客間からのビューポイント

 

青石と苔を配した石庭

青石と苔を配した石庭

 

茶室にある三鈴自作の襖絵と書

茶室にある三鈴自作の襖絵と書

 

雪に煙る龍安寺石庭

雪に煙る龍安寺石庭

 

寒肥の時期、庭師が丁寧に施肥作業

寒肥の時期、庭師が丁寧に施肥作業

 

等持院の石庭

等持院の石庭

 

等持院の裏庭の石組み

等持院の裏庭の石組み

 

白く雪化粧した建仁寺 望闕楼

白く雪化粧した建仁寺 望闕楼

 

方丈前の石庭

方丈前の石庭

 

〇△□乃庭 禅宗の四大思想(地水火風)□地〇水△火で象徴する。

〇△□乃庭 禅宗の四大思想(地水火風)□地〇水△火で象徴する。

 

本坊中庭の潮音庭

本坊中庭の潮音庭

 

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On 3月 10th, 2015, posted in: 樹木医アラカルト by KO

雪の大山 その3

 御机から鏡ヶ成へは車で30分ほどで到着。鏡ヶ成にもスキー場があり、ゲレンデでスキー客が滑っているのが見えた。ここのゲレンデは傾斜がゆるく初心者向きである。

 

鏡ヶ成スキー場

鏡ヶ成スキー場

 

 9時前に鏡ヶ成から鬼面台展望台を目指して出発。積雪期以外は車で5分もあれば行けるが、雪道を歩くと1時間くらいかかる。車道の上の雪道をゆっくりと歩く。

 

鬼女台展望台への道①

鬼女台展望台への道①

 

 気温も大分上がってきて、雪も溶けはじめていた。

 

鬼女台展望台への道②

鬼女台展望台への道②

 

 雪の上にはいろんな足跡が残っている。これは鳥の足跡か?

 

鳥の足跡

鳥の足跡

 

 お次は動物の足跡。結構大きい。何だろう?

 

獣の足跡

獣の足跡

 

 そして前方に鬼面台展望台がみえてきた。

 

鬼面台展望台

鬼面台展望台

 

 11時前に鬼面台展望台に到着。展望台から北方向の大山と烏ヶ山を望む。朝に比べて少し空が曇ってきた。天気は下り坂である。高気圧の中心が東に移動し低気圧が近づいているのがわかる。

 

鬼面台展望台からの大山と烏ヶ山

鬼面台展望台からの大山と烏ヶ山

 

 展望台から南方向は蒜山高原がよく見える。ブナ林も春の訪れを今か今かと待っているようだ。

 

ブナ林

ブナ林

 

 早めに鬼面台展望台を切り上げ、鏡ヶ成の駐車場にもどる。時刻は昼の12時を過ぎている。夜は7時から新人樹木医の歓迎会があるので大阪に帰ることにする。大阪には4時頃到着。余裕で歓迎会には間に合ったはずだが、時間を勘違いしていて7時に会場に行くと、既に歓迎会は始まっていた。最近、時々こういうポカをする。年のせいか?年はとりたくないもんだ。

  真田 俊秀

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On 3月 7th, 2015, posted in: 樹木医アラカルト by KO