オオヤマザクラ

 平成26年4月も下旬になり、大阪ではサクラは既に散ってしまい葉桜を見るのみである。
 そんな中、私は奈良県天川村の309号線を車で走行していた。この道は冬の間は積雪のため閉鎖されていたが、昨日、やっとゲートが開けられ通行できるようになったばかりである。
 車の窓越しには、見ごろを迎えたヤマザクラがあちこちに見える。ヤマザクラは葉の色も様々だが、花の時期も早いものから遅いものまで多岐にわたっている。

 

ヤマザクラ

ヤマザクラ

 

 しばらく車を進めると川迫川沿いの河原に紅色の花をつけたサクラが目にはいった。何だろうと思い、車から降りてよく観察すると、オオヤマザクラであることがわかった。

 

川迫川沿いのオオヤマザクラ

川迫川沿いのオオヤマザクラ

 

 そこからしばらく進むと神童子谷という渓谷がある。林道があるが落石等で荒れていて車は無理である。しばらく歩いていると、ここでもオオヤマザクラがあった。

 

神童子谷のオオヤマザクラ遠謀

神童子谷のオオヤマザクラ遠謀

 

 なかなか立派なサクラである。

 

 

神童子谷のオオヤマザクラ遠謀

神童子谷のオオヤマザクラ遠謀

 

 オオヤマザクラの花はヤマザクラよりも花がやや大きく、色も濃い紅色をしているので、山の中でもよく目立つ。

 

オオヤマザクラの花

オオヤマザクラの花

 

 私はJR京都線で通勤しているが、いつも4月に入ると、東淀川駅近くのUR都市機構の団地のオオヤマザクラがピンクに色づいているのが目につく。ここのオオヤマザクラは団地が建設された時に植樹されたもので花の色が濃い。

 

アーベイン東三国

アーベイン東三国

 

 もともとオオヤマザクラは中部地方以北に分布し、西日本では四国の石鎚山にあるとされる。それが奈良県の山の中にあるとは珍しいものである。どうしてこんな山のなかにオオヤマザクラがひっそりとあるのだろう。人が植えたとは思われないし、鳥が種を運んできたのだろうか? うーん、謎である。

                 真田 俊秀

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On 5月 6th, 2014, posted in: 樹木医アラカルト, 緑と樹木について by KO

韓国 老巨樹探訪 松廣寺の雙香樹に誘われて

 平成26年4月10日、蘂だけになったサクラを車窓から眺めながら関西空港に向かった。往復10,000円の激安航空券をゲットして、韓国の王桜(ソメイヨシ)を見物がてら韓国 全羅南道 順天 松廣寺 天子庵の樹齢800年のビャクシン(雙香樹)を訪ねた。
 釜山 金海国際空港から鉄道、バスを乗り継いで夜の7時に韓国南部の小都市 順天に着いた。予約したホテルは繁華街から離れた山の中の1軒家、タクシーの運転手も名前すら知らない宿泊施設、名前こそホテルだが建物の装いは立派なモーテルである。受付カウンターも双方の顔が見えないように30cm四方の小さな窓。カギとアメニティ袋を貰い照明の薄暗い部屋へ、ダブルベットと広い浴室、男女用の浴着、極めつけはアメニティ袋の中の洗面具に避妊具、ジェル等、六十路をとぼとぼ歩く老爺の一人旅には無縁でしょう・・・。    韓国で安宿は何度も宿泊したが、このようなサービスは初体験、翌日の田舎町のモーテルも同じサービスが、因みに1泊4,750円だった。

 

 

 未だ見ぬ老樹への思いと逢瀬部屋に挟まれ悶々と夜明けを。翌早朝、韓国の樹木医の案内でビャクシンがある天子庵の参道入口まで行く。参道入口からビャクシンがある天子庵本殿までは急勾配の山道を15分ほど歩く。参道の桜は散り、足下にはスミレ、カタクリなどが生えていた。心地よい足の疲れを感じた頃に天子庵に着く。本殿より一段高い小さな庵の横に異様な姿をしたビャクシンがある。このビャクシンは今から800年ほど前に中国から帰国途中の高僧二人が突いていた杖を挿したものが根を降ろし成長したもので雙香樹(二つの香木)と言われている。樹幹の大半の樹皮がなく、残る樹皮も飴の棒を捻たように幹方向に捩じれ上がっている。

 

 

 この樹木は天然記念物第88号に指定され、探訪客も多く、長年の風雪に耐えかね樹勢が弱り、韓国樹木医第1号の姜銓隃(カン・ジョニュ)氏が1980年、1991年の二度に渡り治療したビャクシンでもある。樹勢は良いとは言えないが筋肉隆々とした武者が仁王立ちしている様は圧巻である。

 本殿より一段高い場所に生えており、石積みされた時に覆土されたのだろう根張りが見えない。1991年に外科手術し充填されたウレタンと人工樹皮の一部が離脱していた。しかし、韓国の人工樹皮技術はどの事例を見ても上手に処理している。

 小豆島にある特別天然記念物 宝生院のシンパク(樹齢1500年)然り、ビャクシンの特質なのか僅かな樹皮部分で養水分の流通が行われ樹体を維持する生命力の力強さと不思議さに感嘆させられる。

 

 

 

松廣寺のビャクシン
雙香樹
 韓国天然記念物 第88号
 樹種名:ビャクシン
     Juniperus chinensis
 樹高:12.0m
 根元周囲:3.80m、3.30m
 胸高周囲:4.10m、3.30m
 樹冠幅:東西方向        7.40m
     南北方向        6.50m
 樹齢:約800年
 由来:高麗時代、普照国師と湛堂国師が中国から帰国する時に突いていた杖を刺したものが根付いたと伝わっており、松廣寺の三大宝物の一つとされている。

 

 

 

 

 

 因みに、韓国最初の樹木医である姜銓隃(カン・ジョニュ)氏はソウルで樹木病院を開業し、韓国の天然記念物を何本も治療した、おじいさん樹木医として名が知れている。

 「おじいさん!木が痛いって」という小学生低学年用の教材本に、その生い立ちと樹木医となり樹木病院を開業し、全国各地の老巨樹を治療した事例が紹介されている。

2014年4月15日
日韓樹木文化・老古樹研究協会
浅川 充

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On 4月 27th, 2014, posted in: 樹木医アラカルト, 緑と樹木について by KO

新人樹木医歓迎会を開きました!

 平成26年2月22日に大阪市中央区の道頓堀ホテルにて、新人樹木医歓迎会を行いました。
 4名の新人樹木医全員を含む総勢33名の参加となりました。
 歓迎会では、はじめに真田理事長より歓迎と励ましの気持ちがこもった挨拶が行われました。また、食事をはさみながら、歓談およびその他先輩樹木医による挨拶や近況報告が行われ、引き続いて、新人樹木医による自己紹介と樹木医としての得意分野のアピールが行われました。
 今年の新人樹木医は女性1名を含む20代から30代前半と若く、将来の活躍が多いに期待できると思われます。
 最後は、全員で完璧な大阪締めで歓迎会を終えました!

赤阪幸司

 

新人樹木医4名のみなさん

新人樹木医4名のみなさん

 

 

 

最後は大阪締め

最後は大阪締め

 

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On 4月 23rd, 2014, posted in: NPOおおさかの活動 by KO

古市古墳群の巨樹と梅を訪ねて

 NPOおおさか緑と樹木の診断協会では、NHK文化センター梅田教室から受託し、「樹木医とめぐる巨樹・巨木」という現地講座を毎月(原則第2金曜日)開催しています。

 

 

 平成26年3月の講座は、古市古墳群を擁する藤井寺・羽曳野両市に点在する巨樹を求めて歩き、いにしえのロマン・謎・神秘に迫りました。
 案内はNPOおおさかの真田俊秀樹木医にお願いしました。
 午前9時に近鉄高鷲駅前に集合した受講者は11名、総勢14名での開催です。

 藤井寺市から羽曳野市にかけて東西・南北約4kmの範囲に広がる古市古墳群。4世紀後半から6世紀中頃にかけて120基を超える古墳が築造され、現存する45基には、墳丘長200mを超える巨大な前方後円墳が7基も含まれています。堺市にある百舌鳥古墳群とともに、独特な墳墓の築造に膨大なエネルギーを注ぐという、他に類を見ない特異な文化がかつて日本に存在したことを物語る貴重な歴史資産であり、平成29年の世界文化遺産登録をめざしています。

 

 

 雄略天皇陵古墳です。大規模な前方後円墳で、宮内庁が管理するものは大体、鳥居のある拝所が正面にあります。堀の向こうには鬱蒼とした緑が迫っています。

 

 

 

 

 津堂城山古墳の後円部分が境内林になっており前方部や堀のところは古墳の中に立ち入って散策が出来ます。文化財である古墳の表土が流れてしまっているのが気になりました。

 

 

 

 エノキとアキニレが伸び伸びと大きく成長していました。

 

 

 

 藤井寺市にあるオオガイド緑地というところでツリーサークルに植栽されたクスノキです。
 水はけが非常に悪く、水盤の中で息苦しそうなクスノキです。樹形は良いのでこのような状況になったのは最近のことだと思います。

 

 

 

 藤で有名な葛井寺です。藤のトンネルや古樹が何本もあります。

 

 

 

 クスノキの巨樹を発見しました。

 

 

 辛国神社は大阪みどりの百選にも選定され、参道は数々の樹木でおおわれていました。

 

 

 朽ちた樹木の中から新しい命が育っていました。

 

 

 アカマツがモチノキに締め付けられています。どっちも苦しそうです。

 

 

 

 庭木の王様といわれるモッコクにしてはかなりの巨樹です。

 

 

 

 

 仲哀天皇陵古墳の約4分の3を回りました。

 

 

 

 アイセルシュラホールの中でお弁当を頂きました。

 

 

 

 応神天皇陵古墳は仁徳天皇陵古墳に次ぐ2番目の規模で、全長425m。古墳の盛り土の体積では全国一です。

 

 

 大阪場所で来ているお相撲さんの洗濯物でした。Tシャツもバスタオルもビックサイズです。

 

 

 誉田八幡宮は応神天皇陵古墳の南側にありますが、かつてはその墳丘部も境内の一部であったことが、この絵図から読み取れます。

 

 

 

 

 

 市の指定樹木のフジ、エノキはどちらも貫禄があります。

 

 

 大鳥塚古墳です。

 

 

 

 

 古室山古墳の墳丘からは周囲を眺望できます。

 

 

 仲姫皇后陵古墳です。

 

 

 

 

 

 澤田八幡神社にはクスノキ、エノキ、イスノキの巨樹が見られましたが、近鉄南大阪線が参道を分断しており、踏切がありました。

 

 

 

 

 澤田八幡神社から見えて、気になって訪ねたのは極楽寺です。
 突然の訪問にも関わらず、中を拝見することが出来ました。
 クスノキは幹周6mを超え、かつてはミミズクが営巣していたそうです。

 

 

 

 カイズカイブキは倒れたものを起して、ワイヤーの支柱で支えています。その支柱が食い込んで先端部が枯れてしまったそうです。

 

 

 個人のお宅のシダレザクラです。道を挟んで向かいの敷地まで伸びた枝が桜のトンネルとなるのはもうすぐです。

 

 

 

 

 東高野街道の一里塚だったのでしょうか。大きなエノキが頑張っていました。

 

 

 大阪府の天然記念物に指定されている木患子(もくげんじ)です。初夏に黄色い花をつける仏教木です。

 

 

 道明寺天満宮境内にはNPOおおさかが指定しているおじいさんの木が何本かあります。

 

 

 

 

 

 ムクロジが2本とクスノキです。

 

 

 

 梅まつりは昨日で終了、散り始めてはいましたが、橋の上から見下ろす梅林は立派です。

 道明寺駅で解散、今回の歩行距離は図上で10.5km。万歩計の記録は3万歩に少し及ばずという受講生がいました。皆さん、どうもお疲れ様です。

「樹木医とめぐる巨樹・巨木」はNPOおおさかに所属する樹木医を初め、近畿の各樹木医によって大切に守られている各地の巨樹・巨木をめぐります。詳細についてはNHK文化センター梅田教室(担当:尾藤)までお問い合わせください。

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「台湾大学の樹木QRコード」

 先日、国立台湾大学構内をうろうろしていると、全ての高木につけられた樹名板にQRコードが記されていることに気づきました。最近は日本の公園などでもこのようなQRコードがついたサイン(看板)を見かけることがあります。樹木につけられたQRコードの場合は、樹木散策やオリエンテーション用にQRコードがつけられている場合が多いようです。台湾でも同じように樹木の解説などが登録されているのかとiphonで読み取ってみるとびっくり。樹木の診断内容まで記されているではありませんか。
 樹木形状寸法、位置(座標)、樹木の解説、植栽時期などが細かく説明されています。過去の写真も数枚掲載されています。下に添付したのは診断内容の抜粋です。NPOおおさかで実施しているような本格的な診断内容が記されています。活力度判定も掲載されています。
 私は過去に診断したカルテを探すのにいつも一苦労しています。それを考えるとなんと上手な管理方法だと感心しました。何よりも、樹木の前で過去の診断結果が分かると言うのは樹木医にとって便利この上ない素晴らしいことです。
NPOおおさかでも、診断した樹木にこのようなQRコードでの情報掲載を実現していただきたいものです。IT音痴の私には無理ですが。

 

 

ガジュマルの木に取り付けられたQRコード。

ガジュマルの木に取り付けられたQRコード。

 

詳しい樹木の解説以外に次のような診断情報も記載されています。漢字なので記されている内容が概ね分かるかと思います。

 

 

笠松 滋久

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On 3月 20th, 2014, posted in: 樹木医アラカルト by KO

大雪の万博公園

 NPOおおさか緑と樹木の診断協会では、NHK文化センター梅田教室から受託し、「樹木医とめぐる巨樹・巨木」という現地講座を毎月(原則第2金曜日)開催しています。

 平成26年2月の開催は、吹田市にある万博記念公園内の樹木を訪ねました。
 案内は万博公園での勤務経験もある大槻憲章樹木医にお願いしましたところ、万博公園の植栽メンテナンスにかかわる信原元樹樹木医と岩井美菜子樹木医も応援に駆けつけてくれました。受講者は9名、総勢14名での開催です。

 ご記憶の方も多いかとは思いますが、大阪万博は1970年、81の国と国際機関が参加して、戦後日本では東京オリンピックに次ぐ国際イベントとして行われました。
 最終入場者数の6421万人は2010年の上海万博までトップであったとのことです。

 

 

 前日からの大雪で一面の銀世界、積雪は10センチを超える中、受講生の皆さんは重装備です。
 滑って転んだりしないよう大槻樹木医の説明を受けて出発です。

 

 

 万博記念公園自然文化園と日本庭園は入園料250円を支払って入ります。迎えてくれた太陽の塔は雪の中でも堂々としたものです。

 

 

 2月14日といえば早咲きの梅が咲き始め見頃を迎えているだろうと考えたのですが、この状況です。

 

 

 

 こんな中、来ていたおじさんの話では、万博公園の梅林は国内でも有数の品種数を誇っているそうです。
 雪の重みに耐える梅の花、大槻樹木医の品種解説が続きました。

 

 

 

 

 茶畑の看板には園内の撤去木が利用されていますが、徐々に腐り、そこに生えたのが1本の桜です。
 柱の中央部分に落ちた種から発芽し、根は地中に達しています。将来が楽しみなたくましい桜です。このまま成長を続けてほしいと思い、信原樹木医、岩井樹木医に守ってよとお願いした次第です。

 

 

 ケヤキの並木が雪化粧しています。10年に一度のシャッターチャンス。でも、雪が降り続いている中、いい写真は難しいですね。

 

 

 普段は楽しいせせらぎの飛び石もヒヤヒヤです。

 

 

 

 ネコヤナギです。

 

 

 花の丘です。季節になれば、アイスランドポピーやコスモスが一面に咲き誇るそうです。

 

 

 ため池からは水蒸気が。

 

 

 プラタナスの並木道です。台風の被害で多くの倒木がありましたが、可能なものは引き起こされました。
 剪定によって形も整えられ、春の芽吹きが楽しみです。

 

 

 このシダレザクラは上の枝は上に伸び、大きく伸び伸びとしています。

 

 

 

 木のないところはほぼ雪しか見えません。この日の積雪は多い部分で15センチほどありました。

 

 

 つづいて日本庭園を見学しました。
 この日本庭園は1970年の日本万国博覧会の開催に合わせ、世界中から訪れた方々に日本の造園技術の粋を披露することや林立する近代建築パビリオンの未来空間と対比して、自然・緑の憩いの場を提供することにありました。
 庭園の広さは26ha、東西1300m、南北200mの細長い地形に水の流れを造り、日本万国博覧会のテーマである「人類の進歩と調和」をこの流れにたくし、時の移り変わりを表現しています。
 中央休憩所から築山と池を望みます。遠方に見えるのは山の芝生がいつも美しく管理されているのですが、スキー場のようになっていました。

 

 

 ツバキが咲いていました。

 

 

 この日本庭園造成前の千里丘陵には大規模な竹林が広がっていました。
 日本庭園の計画段階で郷土の植物を再現するため作られたそうです。

 

 

 竹林にはよく見られるイヌビワです。

 

 

 

 平安時代の庭を表現した上代庭園です。
 中国大陸の影響を大きく受けて王朝文化が開花しました。

 

 

 現代庭園のエリアで、未来を象徴する明るく立体的なデザインの庭が表現されています。

 「樹木医とめぐる巨樹・巨木」はNPOおおさかに所属する樹木医を初め、近畿の各樹木医によって大切に守られている各地の巨樹・巨木をめぐります。詳細についてはNHK文化センター梅田教室(担当:尾藤)までお問い合わせください。

宮本 博行

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On 3月 16th, 2014, posted in: NPOおおさかの活動, 樹木医アラカルト by KO

チャノキの伝来

 お茶といえば、煎茶・抹茶・紅茶・ウーロン茶など、いろいろある。
 今回は、ツバキ科のチャノキが日本に入ってきた古い記録を書き、次回は飲料の茶葉を書く。「類聚国史」(るいじゅうこくし 寛平4年、892年、菅原道真)に「弘仁6年(815年)4月に嵯峨帝(在位810~822年)が滋賀の唐崎の近くの崇福寺に寄られ、僧永忠が茶をさしあげたところ喜ばれた。 同年6月、畿内、近江、丹波、播磨などに植え、献じさせた。」とある。
 このチャノキは永忠が唐から持ち帰ったものというが、「日吉社記」では僧最澄が805年に持ち帰った、と書かれている。
 大津市坂本の日吉には、最澄が伝来したチャノキを栽培している古い茶園がある。古木が倒れると側から新しい幹が立つが、それが千年以上も続いているものかどうかわからない。平安時代には宮廷や寺院で茶が飲まれていた記録はあるが、当時の日本の物産を詳しく書いている「延喜式」(延長5年、927年、藤原忠平ら)には茶の産地が書かれていないので、一般には栽培しておらず、庶民には飲まれていなかったと思われる。
 日本で広く茶が飲まれるようになったのは、鎌倉時代以後のことである。
 僧栄西(永治元年、1141~建保3年、1215年。京都に建仁寺を開いた。)は、1168年の夏に宋に渡り、秋に帰国した。 1187年に再度、宋に入り1191年7月に長崎の平戸に帰国し、富春庵に茶の種子を播いた。その後、佐賀の背振山の霊仙寺の石上坊にも茶の種子を播いた。この石上茶を明恵上人が京都の栂尾(とがのお)に播いた。この茶はさらに宇治に移されて宇治茶の起源となった。静岡茶は、静岡の足久保に生まれた聖一国師が、1201年に京都から故郷の静岡に移した、といわれている。
 茶会が行われたのは、後醍醐天皇(1288~1339年、在位1318~1339年)の頃からである。足利時代には、村田珠光(じゅこう)が諸式を定め、茶道がおこった。武野紹鷗(じょうおう)を経て、千利休が茶道を大成し、侘茶をひろめた。 
参考文献 北村四郎著 植物文化史Ⅲ

澤田 清

 

チャノキ1

チャノキ1

 

チャノキ2

チャノキ2

 

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On 3月 14th, 2014, posted in: 樹木医アラカルト, 緑と樹木について by KO

冬芽観察

 3月に入り、スギ花粉の飛散がピークを迎え、非常に息苦しい日々が続いています。
 景色は春めいて来ましたが、奈良の奥山はまだ厳しい冬の衣装をまとっていて、春はまだ先です。しかし、木々のなかには、そろそろ春を意識して動き出しているものもあります。そんな木を探して平成26年3月1日に山にでかけました。
 場所は奈良県天川村の神童子谷で、天気は曇り空。
 1月の山は荒涼とした感じでしたが、3月になると少し色めいてきて、まさに「山笑う」といった風景もすぐそこです。

 

春を迎えた山

春を迎えた山

 

 川沿いの林道のそばには、ケヤマハンノキがたくさん生育しています。朱く色づいた雄花がたくさん垂れ下がっていました。

 

ケヤマハンノキの新芽

ケヤマハンノキの新芽

 

 次も渓流沿いにたくさん生えているフサザクラです。去年の花がらのそばで光沢のある固そうな新芽がしっかりと見えました。

 

フサザクラの新芽

フサザクラの新芽

 

 次も渓流沿いでよく見かける樹木で、バッコヤナギという木です。早いもので新芽が展開する前に白い綿帽子みたいな花を咲かせていました。

 

バッコヤナギの新芽と花

バッコヤナギの新芽と花

 

 次は、爪楊枝に利用され、春になると小さな黄色い花をつけるクロモジです。花芽はまだまだ固そうでした。

 

クロモジの新芽

クロモジの新芽

 

 紅く色づいた新芽をいっぱいつけているのは、秋の紅葉が美しいホソエカエデです。幹はウリハダカエデによく似ています。葉が真っ赤に紅葉しますが新芽も赤く、よく目立ちます。

 

ホソエカエデの芽

ホソエカエデの芽

 

 次の樹木も梢と新芽が紅く、遠くからでもよく目立つ、アカシデです。シデの仲間には、クマシデやイヌシデ、サワシバなどがありますが、このアカシデが一番紅く、山を紅く染めるのにこのアカシデは大いにその役割を果たしています。

 

アカシデの新芽

アカシデの新芽

 

 春の訪れを一番感じるのは、このタムシバです。別名、ニオイコブシといい、花には芳香があります。白い産毛につつまれた蕾は、今や遅しと開花の準備をしています。

 

タムシバの新芽と花芽

タムシバの新芽と花芽

 

 ぶらぶら歩いているとマンサクの花に出会いました。黄色い花弁は、まるでリボンのようで愛らしい花です。マンサクには、いろいろな園芸品種が公園などで見られますが、野生のマンサクは清楚で、ここだけ一足先に春が来たみたいです。

 

マンサクの花

マンサクの花

 

 今年は2月が例年に比べて寒い日が続き、降雪量も多く、春の訪れはまだまだ先かと思っていましたが、確実に春の足音が近づいていました。

                       真田 俊秀

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On 3月 9th, 2014, posted in: 樹木医アラカルト, 緑と樹木について by KO

高野山の「三鈷の松」と韓国 曹渓寺の「白松」

 平成26年1月31日の街路樹研修会の2日後、韓国からの客人を案内して真言宗の総本山 高野山に行ってきた。外国人の観光地案内は京都、奈良が定番、世界遺産に指定されてもまだマイナーな高野山、それも真冬の高野山へ行く外国人は少ないだろうと不安な気持ちで案内した。やはり冬の高野山は観光客もなく閑散静寂であった。杉木立の中を霧が立ち、神厳な奥ノ院、巨木林の中の聖地であった。京都、奈良の寺社とその賑わいを想像していた客人も、母国にない風景に神妙な様子。奥ノ院や苔生した墓石群の前では、敬虔なキリスト教徒でありながら暫し合掌、宗教地としてではなく日本の古い文化地に自然に掌が合わさったのでは・・・。植生が似た韓半島にも天を突く杉の巨木林はなく、その威厳さを感じたようである。
 高野山の数多の院を案内しながら総本山の金剛峯寺に案内、居並ぶ伽藍を巡り境内を散策する。やはり韓国の樹木医、異国の一木一草が「木」になるようで名前を訪ねられる。そのような中、御影堂の前に端垣で囲まれた松の木が目に留まった。案内板を見ると「三鈷の松」と記されている。「空海(弘法大師)が唐の明州の浜から投げた三鈷杵が海を渡り高野山まで飛び、この松に引っ掛かり、この地を密教を広める地とした」との伝説がある。

 

 

 この松、一見するとなんら変哲もない松、いや遠目では松と思えないが、よくよく観察すると針葉を持つ松、「三鈷の松」と言われ三葉と記している。手の届かない高さに枝があり葉の数を確認しずらい。足元の落葉を探すが皆目見当たらない(縁起物で全て拾られているとか)。デジカメの倍率を挙げようやく三葉を確認。
 学名はPinus bungeana ZUCC 和名 シロマツ、別名 三鈷の松と言われ、中国、朝鮮、日本で産する、とある。シロマツといえば一昨年、韓国樹木研修会で訪れたソウル 憲法裁判所と曹渓寺にあるシロマツ(白松)が思い出される。樹形と幹肌が似ても似つかぬもので「三鈷の松」と「白松」が同種とは図鑑で調べて知る。恥ずかしい限りである。ソウルの「白松」は名前の通り樹肌が白く、遠目では松とは思えず、正に目からうろこが落ちた感あり。高野山の「三鈷の松」もいずれは「白松」と言われるように白い肌になるのだろうか。伝説からすると白くなっても良い樹齢なのに。因みに曹渓寺の「白松」は樹齢500年、中国から帰って来た僧が植えたものと言われている。所変われば品代わるである。

 

高野山「三鈷の松」全景

高野山「三鈷の松」全景

 

しっかりとした針葉3葉

しっかりとした針葉3葉

 

樹齢500年のソウル曹渓寺の「白松」

樹齢500年のソウル曹渓寺の「白松」

 

樹齢600年のソウル憲法裁判所の「白松」

樹齢600年のソウル憲法裁判所の「白松」

 

浅川充

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On 3月 4th, 2014, posted in: 樹木医アラカルト, 緑と樹木について by KO

『機器による分析技術』

 衰弱した樹木の原因を特定していく際に非常な困難にぶつかることが多々あります。顕微鏡の範囲で同定できるレベルだとまだましなのですが、困ったことに培養が出来なかったり、培養しても相当な条件が整わなければ特徴のでないものだったりするものに出会うことがあります。
 
 例えばキノコに類するものは菌糸の特徴が少ないものが多く、本当にキノコの傘ができるまで、見分けることがとても困難です。
 地上のキノコだけでなく地面の下でも植物の根は多くの微生物と共生していますが、

 

菌根

菌根

 

 これはクロマツの根に生じた菌根菌を顕微鏡で見たものです。

 

細根断面

細根断面

 

 一見するとツルツルに見える細根も、顕微鏡で観察すると驚く量の菌根菌が共生している様を確認できます。では、これがどの種の菌根菌であるのか?という事になると実に難問です。

 ということで昨今、植物の分野にも分子生物学的な手法が花盛りとなって来た感がありますので、東京にあります分析機器・試薬のメーカーさんを訪れましてDNA解析と技術を基礎から学ばせて頂くことにしました。

 

街路

街路

 

 この数日前、関東では未曾有の大雪で大変な状態と聞いていましたので、本当に到着できるのか不安だったのですが、私が現地入りした時には街路の端々に雪が残る程度まで回復していました。
 ラボの内部は機密事項が心配ですので写真でお見せできないのが残念ですが、やはり昨今の分析機器の進歩は凄まじく、過去には3年もかかったというサイズのゲノム解析をわずか1日で終える機器のコンパクトさと、その仕組みの凄さは圧巻で、また一方で、調合が非常に面倒な複数の試薬をあらかじめ混合してある便利この上ないキットなどの登場も感嘆します。などなど最新の機器などに目をうばわれながらマイクロピペットに翻弄されつつ機器分析に取り組んできた次第です。

 

電気泳動

電気泳動

 

 
 上の写真は、私が取り組ませて頂いたDNAの電気泳動の結果です。DNAのサンプルをサーマルサイクラーで増幅後、アガロースゲルの電気泳動にかけた結果がこの写真。
 こういう写真は植物病理の論文等でもよく見ますが、きれいな結果を得るのは本当に大変です。また既知のDNAならまだしも、未知のDNAではさらに途方もない行程が必用になるので、必定分析機器も恐ろしい速さで進歩を遂げています。
 農作物の分野と異なり、樹木の分野では、まだまだゲノムの解析が進んでいないものもありますので、機器による分析よりも専門家としての技量が問われる場面の方が多いと感じます。ですが、実際のところ分析機器一つを扱うにも相当の経験と専門の技量が必用で、今後ますます多岐に渡る専門分野を横断した能力が問われていくのだろうなぁと感じました。

笹部雄作

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On 2月 22nd, 2014, posted in: 樹木医アラカルト, 緑と樹木について by KO