高野山大杉林~ブナ原生林めぐり セラピーロード金剛界~女人堂スペシャルルート

 NPOおおさか緑と樹木の診断協会では、NHK文化センター梅田教室から受託し、「樹木医とめぐる巨樹・巨木」という現地講座を毎月(原則第2金曜日)開催しています。

 8月の講座は、高野山に在住する日本樹木医会和歌山県支部長の山本聰洋樹木医の案内で高野山の大杉林とブナ原生林をめぐりました。下界では連日、猛暑日でしたが、高野山の涼しさに期待して、受講者は15名、総勢19名での開催となりました。
 高野山は、今からおよそ1200年の昔、弘法大師(空海)により、真言密教修繕の地として開創され、2004年7月7日、「紀伊山地の霊場と参詣道」という名称でわが国12番目の世界遺産に登録されました。

 

 

南海高野線極楽橋からケーブルカーで高野山へ、南海りんかんバスに乗り替え「奥の院口」に集合しました。

 

 

 

 山本樹木医のガイダンスの後、誰もが知っている有名人や有名企業のお墓や大杉林を観察しながら石畳の参道を行きます。奥の院弘法大師御廟までの約2キロにわたって樹齢500年を超える巨樹・巨木がこれほどの密度で生育している状況は圧巻です。
 弘法大師御廟を参拝、お大師さま信仰の聖地である付近は脱帽、撮影禁止でした。

 

 

 

 

 

 

 ここから標高1004mの摩尼山山頂を目指します。
 あまり急峻では無い山道との案内でしたが、それなりに山道です。
 けれども、休憩と給水を十分に取るペース配分ですから楽しい登山です。

 

 


 ありがたいことに受講生から凍らせたグレープフルーツが差し入れられました。

 

 

 こんな怖いのも居ましたけど。

 

 

 

 

 来た道ですが、下山も楽しく植物観察、摩尼山の天然林の中を帰路につきました。

 

 

 今回のコースで説明を受けた主な樹種は
高野六木のスギ、ヒノキ、コウヤマキ、モミ、ツガ、アカマツの他、ノリウツギ、クロモジ、シロモジ、ヤマシグレ、ヤマアジサイ、スズタケ、ホオノキ、サルナシ、アセビ、ナンキンナナカマド、ミヤマシキミ、ミツバツツジ、シラキ、ソヨゴ、コウヤボウキ、ナガバノコウヤボウキ、ウリハダカエデ、イヌブナなどでした。

「樹木医とめぐる巨樹・巨木」はNPOおおさかに所属する樹木医を初め、近畿の各樹木医によって大切に守られている各地の巨樹・巨木をめぐります。詳細についてはNHK文化センター梅田教室(担当:尾藤)までお問い合わせください。

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On 9月 19th, 2013, posted in: NPOおおさかの活動, 樹木医アラカルト by KO

池田の「がんがら火祭り」

がんがら火祭り

がんがら火祭り


 北摂・池田には「池田・愛宕火の祭礼」で「がんがら火祭り」と称する奇祭があります。
 毎年8月24日、池田の夜空を焦がす「愛宕火」の行事は、五月山(最高峰315m)の山腹220m付近に鎮座する愛宕神社を中心にして行われる火祭りで、正保元年(1644年)以来、360余年の長きに亘って連綿と続けられてきました。
 火祭りの運営は、市内の城山町と建石町の町会が、別々の火祭り行事を行っています。
 
城山町は、愛宕神社から神火を拝受し、五月山の西側山腹にある神社鳥居下(標高200m付近)に「大一」の火文字を灯します。 次に、神火を山麓に下して全長4mの大松明2本に神火を移します。 火の粉を散らしながら若者達が大松明を「人の字」に組みながら、街を練り歩きます。 この時、八丁鉦をガンガラ・ガンガラと鳴らしながら大松明を引き摺って進むので、別名「がんがら火」と呼ばれています。
 午後7時30分頃、山麓を出発して街中を練り歩いた大松明は、午後10時頃、城山町に帰ってきて、「がんがら火祭り」は終了します。

建石町は、五月山の東側山腹、大明ヶ原(標高250m付近)に愛宕神社の神火で「大」の火文字を灯します。 午後5時頃、建石町の「星の宮」に集合した子供会の子供達70~80人が揃いの法被に豆絞りの鉢巻き姿で、手に手に青竹のタイマツを持って五月山の山麓まで行き、代表者の子供達が大人に連れられて山を登って大文字の神火を貰い受けに行きます。 下山して山麓で待っている大勢の子供達の青竹タイマツに神火を移して、火行列は8時過ぎに星の宮に帰ってきます。 その後、青竹タイマツは星の宮の広場で焚かれ、火行列は終了します。

写真は、昨年のポスターです。 右下に「大文字」と「大一文字」の火文字が見えます。 また、「がんがら火」を担いでいる若者達も見えます。 大工の衣装を身に着けていますので、火祭りの翌日は皮膚科の医院に押し寄せると聞きますが、今年は翌日が日曜日なのでどうなるのでしょうか。 お可哀想に。

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On 8月 24th, 2013, posted in: 樹木医アラカルト by KO

雨に咲く花

 連日・連夜、猛暑が続きますネ。 皆様、お元気ですか?
 木や花も一雨欲しいことでしょうネ。しっとりと濡れて咲いている花も良いものですネ。
 雨に咲く花。 昭和10年(1935年)、私が生まれた年の暮れ、タンゴの美しい歌謡曲が発表されました。
 世界は軍靴の響きが大きくなって、翌11年2月に2.26事件が起こり、その筋の圧力も強くなってきて、のんびりとタンゴなど歌っている時代では無くなりました。

  別れた人を 想えば悲し 呼んでみたとて 遠い空
  雨に打たれて 咲いている 花が私の 恋かしら

 内務省から査察が入り、題名や歌詞はズタズタになりました。この歌詞では当然でしょうネ。
 これが今から約80年前の姿です。

 それでは約1000年前はどうだったでしょうか?
 清少納言の枕草子(平安時代中期、西暦1000年頃)の美しい文章と古今和歌集(平安時代初期、西暦905年頃)に美しい和歌が詠まれています。

 「木の花はこきもうすきも紅梅。(中略) 4月のつごもり、5月のついたちの頃ほひ、橘の葉の濃くあをきに、花のいと白う咲きたるが、雨うち降りたるつとめてなどは、世になう心あるさまに、をかし。」 これは、「4月末、5月の初め頃、橘の葉が濃くつやつやと青いなかに、花が真白に咲いているのが、雨の降った翌朝などにしっとりと濡れている風情は、世にまたとない奥深しい美しさだ。」と言っています。

 「春雨に にほへる色も あかなくに 香さへなつかし 山吹の花」 
 古今和歌集 2-122 によみ人知らず
 「春雨に濡れてしっとりとした美しい色もいくら見ても見飽きないほどなのに、その香りまで心にひかれる山吹の花」
 どういう感性の持ち主でしょうかネ。

 澤田 清

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On 8月 12th, 2013, posted in: 樹木医アラカルト by KO

『泣くような努力をしているか?』

 『泣くような努力をしているか?』
私の先生が何気に言われた言葉が、いつも心に引っかかります。
自分の名刺に樹木医という肩書が乗るようになって随分時間が経ったように思うものの毎日様々な疑問は増えるばかり。そういう疑問をやっつけようと色んな努力をするのですが、独力だけでは妙な方向へ勘違いしたまま迷路にはまる事も多々あります。ということで、灼熱の大阪を離れ1週間の予定で茨城県にある研究機関を訪ねました。

今回の目的は植物病害の診断について、生物顕微鏡・実体顕微鏡の操作から、病原菌などの短胞子分離・培養・同定、細菌病・ウィルス病などの対処が困難な病原の診断・検査方法の確認と特に大きなうねりとなってきたPCRや抗体による検査法の“現在”をきちんと学ぶことにあります。

 

つくば

つくば

 

この時大阪は連日の猛暑でしたが、この地では美しいミンミンゼミの声が響き、涼しい木陰と涼やかな風に包まれ、まるで避暑地に来たかのようです。(大阪のみんなゴメン)
今回の研鑽は

 

実験室

実験室

 

糸状菌の培養

 

培養

培養

 

細菌病・センチュウ・土壌病害の検査法

 

細菌病

細菌病

 

ウィルス病については抗体試験・コッホの3原則に従ったウィルスの接種試験・電子顕微鏡など様々な診断技術について連日取り組むことになりました。

 

抗体試験

抗体試験

 

接種試験

接種試験

 

電子顕微鏡

電子顕微鏡

 

 といいましても今回の範囲は樹木・果樹に限らず広く植物全般にかかわる病理です。
例えばニンジンの線虫病一つ見ても

 

線虫病

線虫病

 

 一般に流通・販売されることはまぁありませんので、専門の世界でしかお目にかかれない状態です。毎年どんどん新しい植物病害が出現し、それを瀬戸際で食い止めようと厳しい戦いが各地で繰り広げられます。
 そして診断技術・試験方法・ネットワークもどんどん変わっていきますので常々、基本と最新技術を追い続けていかなければならない宿命が専門の道にいる者に課されます。                             

笹部雄作

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On 8月 11th, 2013, posted in: 樹木医アラカルト by KO

混沌とする日韓関係に思いふける二つの菩薩

 「韓国の樹木文化と老巨樹の探求」を第2の人生のライフワークとして取り組み始めたとき、先輩樹木医から「京都の広隆寺に安置される弥勒菩薩半跏思惟像(「宝冠弥勒」国宝 彫刻の部 第1号)は朝鮮のアカマツから彫刻されているらしいよ」と、その事を記述した貴重な資料を貸していただいた。

 

広隆寺 国宝第1号 宝冠弥勒

広隆寺 国宝第1号 宝冠弥勒

 

 その事には諸説があり、門外漢の私には想像を絶する域であるが、一説には「日本書紀に推古31年(623年)に新羅から伝来、また推古11年(603年)に聖徳太子が百済から輸入し秦河勝に与えた」と言われ、その素材が朝鮮半島のアカマツであると記されている。(異論あり)
 韓国の老巨樹を何度か探訪し、実にアカマツの老樹が多いことを知り、広隆寺の弥勒菩薩は本当に「朝鮮半島のアカマツ」かもと思いつつ、或る時、韓国の国立中央博物館に広隆寺の弥勒菩薩と瓜二つの弥勒菩薩が展示されていると聞き、ソウルの龍山区二村にある博物館を訪ねた。近代的な建物でとても素晴らしい大きな博物館である。

 

韓国の国立中央博物館

韓国の国立中央博物館

 

 3階に展示されている弥勒菩薩は木製でなく金銅製で、国宝第83号に指定された金銅半跏思惟像である。展示室の真ん中で大きなガラス室に安置され接近して鑑賞することは出来ないが、半跏思惟の右手薬指を頬にあてて物思いにふける姿はピスピスタム(似たり寄ったり)、ソウルに行ったら一見の価値あり。

 

韓国 国宝第83号 金銅弥勒菩薩像

韓国 国宝第83号 金銅弥勒菩薩像

 

 日本と韓国、木製と金銅の違いこそあれ、弥勒菩薩を崇め、慈悲し救うを乞う思いは普遍であるはず、なのに事あるごとに諍うのかな・・・?
 ところでやや前に傾いた「宝冠弥勒」、は曲がったアカマツを利用したとか、そういえば韓国には曲がったアカマツが多く見受けた。特に慶州の三陵にある松林は全部曲がっている。
真っ直ぐ伸びるばかりが良しじゃないよね、時には曲がりながら・・・

 

慶州 三陵のアカマツ林

慶州 三陵のアカマツ林

 

(日韓樹木文化・老巨樹研究協会 浅川)

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On 8月 8th, 2013, posted in: 樹木医アラカルト by KO

今年もアオバズクの巣立ちが見れました。

 平成25年7月24日(水)、所用で能勢町へ行ったとき、「野間の大けやき」のそばを通りかかると、たくさんのカメラマンが来ていました。この季節はアオバズクを見るため、1年で一番「野間の大けやき」がにぎわう時期です。

 

大勢のカメラマン

大勢のカメラマン

 

 カメラの先にはアオバズクの親子が木に止まっているのが見えました。今年は20日頃に巣立ちをしたそうです。私も手持ちのカメラで撮ってみました。

 

アオバズク親子

アオバズク親子

 

 雛は3羽いて、ふわふわした白い毛はぬいぐるみみたいでした。仲良く2羽並んでいるところをパチリ。

 

アオバズクの雛

アオバズクの雛

 

 「野間の大けやき」の横にある「ニガキ」も赤い実をつけ、一足早い秋の到来を告げているかのようでした。

 

野間のニガキ

野間のニガキ

 

真田 俊秀

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On 8月 5th, 2013, posted in: 樹木医アラカルト by KO

「樹木医とめぐる巨樹・巨木」7月講座

 NPOおおさか緑と樹木の診断協会では、NHK文化センター梅田教室から受託し、「樹木医とめぐる巨樹・巨木」という現地講座を毎月開催しています。

 平成25年7月の講座は、当NPO理事長の真田俊秀樹木医の案内で生駒山上から下山しながらアジサイなどの花と樹木を訪ねるコースです。猛暑の中の開催のためか欠席者もあり、総勢16名での開催となりました。

 

 


 近鉄生駒駅に集合し、ケーブルカーに乗り替え、生駒山上駅を目指します。山上の遊園地に因んで、ケーブルカーはイヌやネコ、デコレーションケーキなどに装飾されていました。
 「樹木医とめぐる巨樹・巨木」ではケーブルカーを良く利用します。8月9日の高野山も9月13日の信貴山もケーブルカーに乗りますよ。リフトやロープウェイを利用することも。珍しい乗り物に乗れると参加者には好評です。

 

 

 

 山頂では遊園地が営業中、下界よりは涼しいものの連日の猛暑は山頂の眺望からも感じられます。
 標高約640メートル、東京スカイタワーが634メートルですからちょっと高いって感じです。

 

 

 


 山上から下山しながら真田樹木医の解説で樹木を観察しました。
 先ずは皆でニワウルシ(シンジュ)を観察、かぶれる人は少ないそうです。
 私は強剪定され、テングス病に侵された桜の木が気になりました。

 

 

 

 

 


 最初の目的地は府民の森ぬかた園地です。
 園路は緩やかなスロープとなるようジグザクに整備され、坂道をゆっくり下りながらアジサイを満喫できます。
 ガクアジサイ、ヤマアジサイ、西洋アジサイなど36種が紹介され、花色、開花時期も様々で隠れた名所の存在に感心しました。

 

 

 道の造成で出てきた生駒石でしょう。園路わきに据えられていました。

 

 

 弁当を食べて皆で記念写真。まだまだ元気ですが。

 

 

 ネムノキとアカメガシワです。
 山の上では、このように樹冠の観察もしやすいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 なるかわ園地を目指し、さらに下山を続けました。
 生駒山地の植生を観察します。

 

 

 

 

 枚岡神社で湧水にのどを潤し、講座の無事を感謝。滝の行場もあり、滝に打たれたい気分でしたが、天然記念物だったビャクシンの株を観察。屋根がかけられ保全されています。

 

 

 

 山中で、敷地面積の広い神社は、巨樹・巨木観察では定番です。新たな出会いにも感謝。
 今回のコースで説明を受けた主な樹種は
 ニワウルシ、シロダモ、クマノミズキ、ニワトコ、ウリハダカエデ、コシアブラ、ヌルデ、クサギ、ネムノキ、アカメガシワ、ムラサキシキブ、ヒメコウゾ、アワブキ、ヤシャブシ、ノリウツギ、ヤマボウシ、マユミ、ゴンズイ、ナナミノキ、オガタマノキ、ヤマモモ、ヤマウコギ、イヌビワ、ビャクシンなどでした。
 「樹木医とめぐる巨樹・巨木」はNPOおおさかに所属する樹木医を初め、近畿の各樹木医によって大切に守られている各地の巨樹・巨木をめぐります。詳細についてはNHK文化センター梅田教室(担当:尾藤)までお問い合わせください。
 

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台湾の台風7号による惨事

 2013年7月12日(金)午後3時、私は台湾の台北市から南に150㎞の彰化という所にいました。当日午後2時に台湾では台風7号による警戒警報が発令され、学校も会社も休みとなってしまいました。強風が吹く中(この時、彰化市で風速20m/Sを記録していた)、私はパートナーが運転する助手席で、宿泊先である台北市を目指して北上していました。高速道路が閉鎖されるまでに台北にたどり着きたいと、休憩も取らずに、大雨の中、風にあおられ、ひやひやしながらの思いでしたが台北市に何とか到着できました。日本では通行止めになっている状況だが、台湾の高速道路は少々の風では封鎖されないと感心した反面、ちょっと怖かった次第です。

 驚いたのは台北市内の繁華街。警戒警報発令により道はすいているのですが、繁華街にある映画館やレストランは超満員。学校や企業が休みとなったため、皆が繁華街に繰り出しているのである。こんなところでも台湾人のパワフルさには驚かされました。
 私も台北101(台湾一の高層ビル)のレストランに夕食をとりにでかけたが、店が満席で入れず、唯一入れたのは高級レストランとなってしまい高く付きました。さすがにいつも夜遅くまで営業している台北101も、この日は夜9時に閉店となってしまい、タクシー乗り場に行くと長蛇の列でした。

 台風7号は、翌7月13日(土)の明朝5時に台北市内に上陸しました。ホテルの10階の部屋にいた私は、ビュウビュウと吹き荒れる風音で目が覚め、まだ暗い街中をホテルの窓から眺めていました。この日の午前中の便で帰国する予定だったのですが、もちろん飛行機の発着はすべてキャンセル。帰国を一日遅らせ、14日の日曜日に帰る羽目になってしまいました。何度も台湾に渡航している私にとっても初めての経験です。日本では、海の日の祝日とあわせ3連休の時、私は台北のホテルで強風が収まるのを待つしかありません。

 風が収まるのを待って、お昼の12時頃に街中の状況を確認すべくホテルを出て驚きました。すさまじい枝折れや倒木の被害です。看板も落ちていますが、樹木の残骸はいたるところに散乱しています。このような被害は今まで見たことありません。大半の樹木は腐朽が入ったところで折れていますが、中には何の障害も無いところで折れた枝や幹もありました。
 実は、これまで台湾の樹木がクネクネと曲がっているのや樹形が整っていないのは、剪定管理のあり方の問題や、遺伝的なものと思っていました。実際、台湾の樹木管理者や大学の先生と話していても、剪定のまずさを指摘されていました。しかし、今回の台風を経験して思ったのは、台湾の樹木が曲がっているのは台風による枝折れや幹の傾斜被害が大きいからだと認識しました。

 

台風通過後9時間後の台北市内。倒木や散乱した枝を避けながら通行する人達。

台風通過後9時間後の台北市内。倒木や散乱した枝を避けながら通行する人達。

 

腐朽による幹折れ被害。左ユーカリ 右モクマオウ

腐朽による幹折れ被害。左ユーカリ 右モクマオウ

 

大した腐朽もないのに爆裂倒壊する樹木。

大した腐朽もないのに爆裂倒壊する樹木。


 しかし、倒木したうちの何割かは根返り被害(根ごと倒木)ですが、これは植栽基盤整備をしっかりとすれば根が発達し防げる被害とも思えました。また、正しい剪定がなされ、危険木診断が実施されれば被害は低減できるはずです。倒木の後片付けは緊急を要する大変な作業です。
 今年9月に、NPOおおさか緑と樹木の診断協会と(一社)街路樹診断協会の共催で台湾ツアーを実施します。日本の樹木医たちの助言により、台湾の倒木や枝折れの被害が少しでも低減できればと願います。

 

折れた枝が道路脇に積み上げられている。    倒木の撤去作業を至る所で実施していた。

折れた枝が道路脇に積み上げられている。    倒木の撤去作業を至る所で実施していた。

 

植栽基盤が悪く根返り倒木した樹木。

植栽基盤が悪く根返り倒木した樹木。

 

 台風7号はアジア名で「ソーリック(SOULIK)」、台湾では「蘇力颱風」と名付けられています。台風の規模は950hPa以下で、最大瞬間風速は60.2m/Sを観測しています。日本の石垣島や与那国島でも同様の気象状況が観測されていますが、本土にはほとんど影響なく、皆様にはあまり印象のない台風だと思われますが、私にとっては強く記憶に残る台風です。
 私が始めて経験するような大きな台風でしたが、台湾の人に聞いてみると「年に何度か来るちょっと大き目の中型台風だよ」と笑って応えてくれました。

2013年7月29日
街路樹診断協会 笠松 滋久

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On 7月 30th, 2013, posted in: 樹木医アラカルト, 緑と樹木について by KO

マダニに注意

 ある日の夜、風呂に入り体を洗っていた時、ふと左足のふくらはぎをみると、赤く腫れているではないか。それでも痛みは全然なく、中心部には黒い点があった。最初は、それはカサブタかなと思った。しかし、いつできたものか記憶にないし、おかしいなあとよくよくみると、それはまさにマダニが足に咬みついている状態であった。

 マダニは吸血場所に鋭い歯で咬みつき、ノコギリのような歯を皮膚の奥に差し込み、その際に唾液をセメントのように固めて接合部を完全に固定し、吸血するそうである。
 無理に引き抜こうとするとマダニの頭部や差し込まれている牙が体内に残ってしまい、感染症などのリスクが高まるそうである。

 ではどうすれば良いのか。マダニの対処法を調べてみると
① タバコの火を近づける。……やけどする可能性があるのでやめる。
② 熱湯をかける。……絶対やけどするのでやめる。
③ アルコール綿で包む。……あいにくアルコール綿がなかった。
④ ワセリンで窒息させる。……あいにくワセリンは家にはなかった。
⑤ 血を吸い終わるまで待つ。……そんな悠長なことは出来ない。
⑥ 病院へ行き取ってもらう。……もう夜なので病院は閉まっている。

 ということで適当な対処法がない。どうしようかとしばらく考えた末、思い切って引き抜くことにする。
 エイヤーと引っ張ると、運よくポロっときれいにとれた。その時のマダニの肉眼の写真である。体長は2mmぐらいで元気に動き回っている。

 

マダニ肉眼写真

マダニ肉眼写真

 

 拡大鏡でみてみると、クモによく似て足は8本ある。こうしてアップで見ると、さらに気持ちが悪い。咬まれたのを知らずに放っておくと1週間以上も吸い続けるそうである。

 

マダニ拡大写真

マダニ拡大写真

 

 マダニを引き抜いた後、1週間ほど、痒みがとれず腫れも引かなかった。
 幸い私は軽傷で済んだが、重症なら熱が出て寝込んだり、死に至ることもあるそうである。私も本来なら病院へ行き、診察をしてもらうべきだったかもしれない。

 マダニは草原の茂みや笹などに普通にいるので、皆さんも注意をして下さい。

 真田 俊秀

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On 7月 22nd, 2013, posted in: 樹木医アラカルト by KO

「草木塔」

 ある人に滋賀県北部地域に「野神」として祀られる巨木があるという話をしたところ、山形県には「草木塔」というものがあると伺った。
 山頭火の句集にも「草木塔」というのがあったのを思い出した。種田山頭火は山口県の出身だから、山形県の草木塔を知っていたかは分からないが、芭蕉と同様に俳諧を作りながら各地を徘徊した人なので山形県の「草木塔」から名付けたのではないかとも思う。
 「草木塔」をインターネットで検索してみると多くのサイトがヒットする。

 草木塔(そうもくとう)とは、「草木塔」、「草木供養塔」、「草木供養経」、「山川草木悉皆成仏」などの碑文が刻まれている石塔の総称である。国内に160基以上存在すると言われているが、戦前からあるものは山形県の置賜(おきたま)と呼ばれる地域に集中しているとのことである。なぜ、山形県の一地方に「草木塔」なるものが存在するのだろうか。
 最も古い草木塔は自然石に「草木供養塔」と刻まれた江戸時代中期(安永九年)に建立されたものだという。ちょうど上杉鷹山の時代である。その草木供養塔は入田沢の塩地平にあり、「安永九子天」と刻まれている。また、口田沢にある碑には「安永九庚子天講中 一佛成道観見法界草木国土悉皆成佛 八月一日 口田沢村」と刻まれている。
 この田沢地区は、藩政時代には「御林(おんばやし)」と呼ばれた米沢藩の御料林のあった所で、城や御殿、神社仏閣の用材として、また城下の大火復興の用材として伐り出されてきた。
 安永九年四月十七日には、現在の米沢市粡町・銅屋町・立町などで大火があり、その時に、藩主の命令で、この「御林」から急遽、多くの用材が伐採・運搬され、復興にあてられたという。
 このような出来事から、人々のために役立つ樹木や草類に感謝し、供養するとともに、植えた樹木の成長と山林資源の豊かさを願う気持ちが、このような供養塔を建立する元となったのではないかと考えられる。
 それが、時代を経て、数が増え、エリアも広まるにつれて、単純化されて「草木塔」として確立してきたのではないだろうか。
 このような草木塔は、江戸時代以降も主に林業の盛んな地域に建てられ、田沢・簗沢・綱木・梓山など「木流し」が行われた所に多くあるとも指摘されている。
 草木塔は最近では自然保護・地球環境といった面から一層注目され、置賜地方に存在している「草木塔」にならって建立する動きが県内外とも盛んになってきている。
 平成二年に大阪で開催された「国際花と緑の博覧会(花の万博)」に、飯豊町の「草木塔」が展示され、全国的に注目された。
 博覧会の理念「自然と人間との共生」の精神にも通じる「草木塔」は、我が国の精神構造にきわめて適合したものであると思われる。自然に恵まれながら、自然と共に生きてきた、また生きていくべき私たちは、「草木塔の心」を長く伝えて行きたいと思う。
※)参考文献:「広域広報おきたま」平成3年(1991年) No.3(8月15日号)

                           大槻 憲章

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On 7月 3rd, 2013, posted in: 樹木医アラカルト by KO